生活の別軸

自分の人生を楽しく過ごすコツは、喜びをいかに集めるかに尽きる。自分が楽しいと感じるもの・時間は何か、をいち早く知り、より多く深く自分を満たす必要がある。ただ「楽しい」の定義も重要で、これが浪費だったり、健康を害すものだと、かなりまずい。また、他人と比較して生まれるもの、最近問題にもなっている承認欲求だったりするとまずい。他人に左右されない、自分だけで完結できる「楽しい」を見つけ出すことが重要である。私の場合、キャンプ。アウトドアライフがそれにかなり近い存在だ。ただ、キャンプならなんでもいいって訳ではない。私が楽しいと感じるキャンプにも、それなりに定義がある。先日のキャンプでやっとはっきりしてきた。キャンプの楽しさを満たすのは以下だ。

  • 車道から遠い
  • 薪が拾える
  • 視界にコンクリートが入らない
  • 静けさがある(隣人のキャンパーの声や物音、川の音は良しとする)

自分勝手な自然な環境を求めているようだ。キャンプ場にサバイバル性・ワイルド性を求めている。自然を求めておきながら、車での移動・近代技術で作られたツール・街から持ち込んだ食材を活用。わがままなものだ。ここまで整理して分かったことは、おそらく私は災害や戦争などで、山へ避難し、救助が来るまでの間、快適に過ごすことができることの実感を重視しているようだ。上記定義のキャンプを行うことで、自分のサバイバルスキルを伸ばすような(おそらく伸びていない)、この環境でも生きていける(数日だけど)自信のようなものが得られる。そしてキャンプは、キャンプ実施中だけでなく自宅に帰ってからも持続するのがまた良い。しっかりとした屋根、湿らない床、簡単に使える水、そしてなによりそこら中にあるコンセント。ありがたい。ありがたいですねー。キャンプから帰ると、自宅というか家のすごさを実感するのだ。トイレが室内にあり、虫がいない・臭くないのもすごい。汚水を自宅から外へ排出できるってすごい。そしてエアコン。様々なテクノロジーにより快適な暮らしが保たれているのが分かる。ファブルの言葉にあるが、「自然で得た技術は街で活用できるが、街で得た技術は自然に通じない」的な。

とまぁ、キャンプは私の「楽しい」であることは明確。楽しさを感じる対象がなんなのかは人ぞれなんだが、なぜ必要なのかを考えてみたい。本来、単純に人間が、生命を維持するために「楽しい」は不要なはず。食べて寝れれば、生存持続が可能なはずだ。しかし、人間は難しいもので生存だけが可能な環境では、おそらくストレスで死ぬ。オンオフの生活の中で発生するストレスとは別に、「楽しい」がないストレスがある。ストレス解消と考えることもできるが、この考え方が現代人に効く、強いトラップだ。

ストレスを感じたら解消すれば良いという考えもあるが、まず、ストレスが貯まっているのかどうかを認識することは難しい。その発生と蓄積した量を自覚できるわけない。それができるという人は、悟りを開きかけているお坊さんのようなもので、まず常人にはできない。

次に、ストレスが貯まった状態で、ストレス解消を考案して実施できるわけない。ストレス解消は、それなりに元気な状態でないとアクションを起こせない。これができるという人は、「あ、今ストレス感じたから、歌おう! ふぉー、ストレスなくなったー!」であり、やべーやつだ。

ので、ストレスが貯まり心と体にダメージが現れる前に「楽しい」を定期的に得ることが必要になってくる。まぁ、すべて私の経験と推測からの考察だが、多分あってるから大丈夫だ。結論として、発生するストレスには対処できない。ストレスと「楽しい」は別物であるが、自分の中で共存する。だから、普段の生活の別軸になりえる「楽しい」と思えるもの・時間をいち早く見つけることが重要。だからみんなキャンプへ行こう! ブームは下火になっているので、今こそチャンスです。

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