今更ブログかよ! 私自身そう思う節はあるが、本日記念すべき1回目の投稿を進める。
まずは、このサイト(あえてサイトと呼ばせてください。今後いろいろやるかも予定もあるので)を開設するまでの経緯を整理し、その目的を記しておきたい。
開設理由:仕事がうまくいかず、やけくそになってエッセイコンテストに応募したことから始まる。受賞通知はまだない。かねてから、何かしらの情報発信、コンテンツ制作を行い不労所得を得たいという中学生バリの願望あり。かれこれ10年ほど保持し続けていた、やってみたかったことを実施するタイミングに出会った。本田氏の言葉にもあるように「遅すぎることはない」はずだ。仕事関連でのトライアルにもなるとするば、大人としての目的感もあるが、単純に楽しそうだと思ったからが最大の理由。
開設目的:不労所得を得る。これはたらればであり、ベネフィットである。中学生ばりの魂胆で、大人が動くというのもいいなと思いつつ、実際のところは日常への刺激になればOK。また、恥ずかしいのであまり公にしたくはないが、昨今世を騒がせている、Chat GPT への反撃の意もある。あれはすごい。本当にすごいけど、すごすぎてすごくない。人間の生AIがどこまでやれるのか。実際のところ、人はもっと文章を書くべきだと思っているところあり、人が作る雑誌へのリスペクトは未だ熱く持っている。人が作るコンテンツは1つでも多い方がいい。文章を書くこと・読むことの楽しさを持つ人が少しでも増えたら嬉しい。ブログを書くのは恥ずかしいが、それがエッセイならばどうだろう。読み手としても、他人のブログを読む時間より、エッセイを読む方が良いはずだ。そう、このサイトでは、ブログではなくエッセイを展開していく予定だ。そこに何の差があるかは、読み手に一任したい。とにかくまず名前が違う。友人から「最近、暇な時間なんかすることある〜?」と聞かれた時に、「ブログ」とは言えまい。他人の生活を覗き見するのが好きで、知的探究心を持っていませんと宣言するようなものだ。その点「エッセイかな」だったらどうだろう。まずは音の響きが良い。
優しさで溢れた音と字面を持っている。そして何より知的さと、その人ならではの楽しみと上品さがある。エッセイ。あなたはエッセイを読んでいて、私はエッセイを書いているわけだ。もうこれはWinwinでしかない。現状、雑誌で拝見するエッセイは著名人が書いているケースが多い。まったく否定する気はないが、ミュージシャンであったり、俳優だったりのエッセイ。つまり、純粋なエッセイストは稀有だったりもする(もちろんエッセイをメインにしているエッセイストもいるが、ひとまず置いておこう)し、今あなたが見つけたこのエッセイを書いている私、つまりエッセイストのデビューに立ち会っていることになる。ありがとうございます。エッセイスト。なんかいいですよね。
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