働いた以上の賃金をもらえる。給与は少ないが、やりがいを感じる憧れの仕事。逆に、苦痛で仕方がない業務や、割に合わないポジションがあったりもする。給与以外のキャリアやスキル、感謝などのやりがいなど、仕事をする上で、その「報酬」が見合っているかはとても重要だ。だが、何をもって報酬とするのかは人それぞれで、見合っているかどうかのボリューム感にも違いがある。
あるところに、寒さで震えている老人と出会ったお坊様がいたそうだ。そのお坊様は、老人に毛布を与えた。老人は、無言で受け取り羽織る。お坊様は「暖かくなりましたか?」と聞くが、老人は無言だった。するとお坊様は、老人に投げかけた自分の言葉に、恥や卑しさを感じたそうだ。自分の行為に対する報酬を求めてしまったのだと。という話を思い出しました。
労働に対して、報酬を求めることは自然であり当然と考える。なぜなら仕事だからだ。「無料でいいから働かせてくれ!」 なんてことを言う人がいたら、絶対に関わってはいけないらしい。引用:らーめん才遊記 腹落ちするような気持ちになった記憶があります。なんにしても、自分がなぜ働くのか、仕事をするのか、その理由や行動を起こすに至る根柢を自覚することが、重要だと考えます。
その理由を考えたときに、「取り急ぎの生活費が必要だから」、「生きていくため」などの生命維持が最初に浮かぶ場合は、その次になぜ今の仕事を選んだのか、続けているのか。生きていくために、金銭が必要なのはもちろんだが、ではなぜ現状の仕事なのか、自問自答の一人会議を実施しましょう。前提として重要なのは、まず今保持している仕事は、負の財産では決してないということ。簡単に手放すことができる武器。他にもっと良い武器があれば、持ち帰れば良いし、見つからなければ持っていた方が良い。切り離すことができる武器なのである。もしかしたら今の武器以上に良いものが見つからないのかもしれないし、実は自分にピッタリなのかもしれない。また、次の武器を手に入れるために必要な武器なのかもしれない。自問自答により、今の武器の素晴らしさが見つかることもある。つまり、結論としては、私はとにかく働きたくない。いろいろ考えてみたけど、森とかに行って、自然の中でサウナに入っちゃったり、川で魚を捕まえて焼いたりしたい。労働の対価・報酬に、時間があったら良いのになぁと思いながら今日も人は生きていく。負けてたまるか、社会人! がんばろうぜ!
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